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2014年12月23日 (火)

19 三浦胤義 (2) 承久の乱


     19 三浦胤義 (2)

          承久の乱

   討幕の考えを持っていた
  後鳥羽上皇は志ある武将を求めていましたが、
  三浦胤義の滞京を知って、
  承久3年(1221)5月、
  籠臣藤原秀康に命じてその理由を探らせました。

   秀康は夜ひそかに胤義を招きその心意を問うたところ、
  胤義は妻の怨みと北条義時に対する反感の意志を栂ました。

   そこで秀康は、
  上皇の内意をしめして胤義を誘い、
  胤義はこれを快諾し、
  さらに兄義村をも味方に誘うべきことを進言しました。

   上皇は、
  胤義に命じて義村を誘う使者を鎌倉に下向させましたが、
  義村から確定的な返事を得ることができず、
  これは失敗します。

   上皇はまた京都守護伊賀光季を招しましたが、
  光季は応ぜず(これは胤義の予言どおり)、
  京方大将軍となった胤義は秀康とともに
  兵を率いて光季を誅伐しました。

   上皇は直ちに賞を行おうとしますが、
  胤義は大功が成ったときにと、
  これを辞しています。

   6月、
  幕府の大軍が西上、
  胤義は秀康らの諸将と尾張川に進み、
  美濃国摩免戸(大豆渡。岐阜県各務原市)を守備して奮戦します。

   ところが幕府軍が背後に回ることを
  恐れた秀康が兵を引いたので、
  胤義は孤軍、
  進むことができず、
  結局敗退して都の帰ります。

   そして朝議は重ねて将士を分遣することに決し、
  胤義はまた秀康とともに供御瀬(くごせ)(食渡)に赴きます。

   京軍は宇治・勢多で幕軍に最後の決戦を挑むべく
  宇治川に進みましたが、
  幕軍大将軍の一人武田信光の兵に敗れて退京。

   胤義らも同じく潰えて帰り、
  戦況を上皇に奏しようとしましたが、
  宮門は固く閉ざされて入ることができず、
  憤懣やるかたない思いの胤義は討死を覚悟して東寺に赴きました。

   このとき幕軍の佐原氏と遭遇しています。

   さらに安房国の住人安西・金鞠の兵が来攻し、
  これと決戦数合、
  京方の兵はほとんど討死にし、
  胤義は子息太郎兵衛尉(胤信又は胤連)とともに東山に走りました。

   当時、
  胤義の妻子は嵯峨太秦にあり、
  胤義はこれに最後の面会を考えますが、
  敵に前途を塞がれて進むことができません。

   やむなく西山木島社(京都市右京区太秦森ヶ東町)に
  隠れていたところ一人の僧に遭います。

   僧は俗名岩崎藤四郎頼信といい、
  かつて胤義の知遇を得ていた者であり、
  このとき高野山に居ましたが、
  乱を知って京都に縁者を訪ねてきたところでした。

   僧の言によれば、
  東軍の天野政景(妻は胤義の娘、一説に妹)の兵が前後に充満し、
  恐らく此処を脱出することは不可能であろうとのことでした。

   最期を知った太郎兵衛尉がまず自害し、
  次いで胤義は後事を僧に託して自害します。

   ときに承久3年6月15日。

   胤義父子の首は兄義村のもとに送られましたが、
  義村はこれを北条泰時のもとに進めています。

   胤義には5人の少子が三浦郡矢部の里のおいて
  胤義の母(伊東祐親女)に養われていましたが、
  幕命によって着られることになり、
  義村は郎等小河十郎にその実行を命じました。

   十郎がその旨を矢部の尼(矢部禅尼とは別人)に伝えると、
  尼は11歳の豊王丸を隠して
  九、七、五、三歳の5人を差し出しました。

   年長者を出さないことをとがめた十郎に、
  尼はわが身に代えてもと抵抗し初志を貫きます。

   田越の川端に引かれて4人のうち
  上3人は斬られることを知って乳母々々に
  取りすがって泣き悲しみ、
  末の子は事情も知らず無心に乳房をまさぐる有様。
 
   やがて人々の悲願の家に4児の命は絶たれます。

   逗子田越川畔に立つ「三浦胤義遺孤碑」は
  これを伝えるものですが、
  これは『承久記』のみが記す一編の
  悲劇物語でおそらく史実ではないでしょう。

   胤義の子、
  平判官太郎左衛門尉義有(一説に童名豊王丸)
  ・同次郎高義・同四郎胤泰の3兄弟は20数年後の
  宝治元年(1247)、
  三浦義村に一抹して鎌倉法華堂において自害してます
  (宝治の乱)。

   彼らと、
  田越川畔で切られた
  4小児とはどのような関係にあったのでしょうか。

   その他多くの疑点があって史実と物語を  
  的確に区分する作業は、
  今後の問題でもありましょう。

     (石渡 隆之)


          続・横須賀人物往来

               平成11年(1999) 3月23日発行

         編集・発行 (財)横須賀生涯学習財団 

         http://www.mmjp.or.jp/shogaigakushu/

                    以上より 転載させて頂きました

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