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2013年9月14日 (土)

27 十方庵敬順


     27 十方庵敬順 (じっぽうあんけいじゅん)

          「遊歴」の人

   人は旅をすることによって自分を知ります。

   天下太平の江戸時代、
  諸国の名所・旧跡が広く人々に知られるようになると、  
  物見遊山として気軽な旅が始まります。

   ここに、
  十九世紀に前半、
  横須賀へやって来た一人の僧侶を紹介します。

          風流のひと

   その人いわく、
  「賑(にぎや)かなることを好まず、只(ただ)静かなるをよしとす」
  「花もみぢに、遠近(おちこち)に杖を引く、古跡・名所をたづね」つつ、
  余生を送りたい。

   ただし、
  見聞きした事を覚書に残しているだけですよ、と。

   まさしく江戸の小日向水道端(現在の文京区水道二丁目)に
  所在した浄土真宗廓然(かくねん)寺の四代目住職で、
  大浄釈敬順という人です。

   宝暦十二年(1762)に本所で生まれ、
  二十歳で寺を継ぎ、
  文化九年(1812)に隠居して十方庵と号しました。

   茶人としては集賢(または宗知)、
  俳号は以風。

   俗世は津田氏でした。

          野島の渡船

   文政二年(1819)、
  武州杉田の梅林をたずねて、
  金沢能見堂の山上から八景をめでつつ、
  山を下りて野島の船宿から渡船に乗り込み、
  相州三浦郡野比村の西向寺(最光寺)を目指しました。

   野島には十七世紀から船宿があり、
  隣接の州崎村とともに横須賀村・大津村まで定期船が通っていました。

   現代に人には、
  なぜと思われるかもしれませんが、
  江戸時代の人にとっては
  辺鄙(へんぴ)な山道を歩いて横須賀村へ来るよりも、
  早くて楽しい海上三里の渡船の方が一般的に利用されたのです。

   海上の途中には、
  歌に詠まれた烏帽子島・雀島があり、
  夏島の間をぬって茶・煙草を喫しながら、
  心地よく「多渡(田戸)という浜辺」へ着岸しました。

          目指すは野比村

   午後遅く着いて、
  不案内ですから土地の者を雇って粟田道を通って行きました。

   ところが、
  当時は暗く物寂しい野道、
  何となく心細い思いで着いた所が、
  最宝寺でした。

   それは案内者のとんだ間違いで、
  最宝寺では親切にも最光寺までご案内くださいました。

   しかし、
  なにぶんにも夜中、
  次第に近付く海の塩音。
  
   アーア、
  随分遠くへきたものだと、
  旅の疲れも出て、
  はや床に就いたものでした。

   翌日、
  十分なもてなしも出来ないとわびる最光寺のご住職の言葉とは反対に、
  信心の厚い土地の人々の姿を見て、
  江戸の人にも見せたいほどだと感じつつ、
  野比村の古跡を二,三か所訪ねた後に、
  三崎の町へ足を向けました。

   十方庵の著した見聞記が、
  『遊歴雑記』十五冊です。

   初編(一編)から五編まであり、
  何度も書き加えて、
  訂正を続けたようです。

   その足跡は、
  江戸周辺のみならず、
  関東一帯から遠く三河まで及び、
  興味をそそる名所・旧跡は尽きません。

   ひとつみなさんも、
  現代の「遊歴の人」になっては、いかがでしょうか。

     (安池 寿幸)


          横須賀人物往来 改訂版

               平成11年(1999) 8月23日発行

         編集・発行 (財)横須賀生涯学習財団 

         http://www.mmjp.or.jp/shogaigakushu/

                    以上より 転載させて頂きました

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